「乗鞍仙人・板殿正太郎」 ~まち協文化部講演会~

 7月21日、丹生川文化ホールでまち協文化部講演会を開催し、地域内外から約160名の皆さんが参加しました。
 これは、地域の歴史や文化を学び互いに高め合おうとまち協文化部が主催して開催したものです。今回は岐阜県山岳連盟名誉会長で飛騨の登山史研究家の木下喜代男さんが講師となって、乗鞍岳に生涯をかけた板殿正太郎を紹介しました。
 飛騨地方の多くの校歌にも登場し、いつも飛騨人の心に在り続ける「乗鞍岳」。板殿正太郎など丹生川に関わる先人たちにより開き守られてきた歴史を誇りに、私たちは乗鞍岳を明日へ守り継がねばなりません。

◆板殿正太郎 
江戸時代末期の慶応元年(1865)に母の実家である板殿村(現丹生川町板殿)の山郷家で生まれました。その後、八幡町の板殿家で暮らす中で、北山から乗鞍岳を眺めるたびに、板殿で間近に見たその山容が思い起こされ、乗鞍岳への熱い思いが育まれていったのかも知れません。
 17歳で乗鞍講の一員に懇願し晴れて初登山。その後、幾度となく登山を重ね、明治38年(1905)40歳で頂上室堂(乗鞍岳山頂付近に今寺儀右衛門が建立)の堂守となり、悪天に遭遇した多くの登山者を助けました。私財をなげうち室堂の改修や登山道の整備にも力を注ぎ大正10年(1921)まで頂上室堂に詰め、岐阜県庁へ積極的な支援を求め直訴するなど、生涯をかけて乗鞍岳を守り育て、世にその名を広めました。
 昭和元年(1926)62歳で里へ下り、昭和3年(1928)64歳で生涯を終えました。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

Instagram

過去の記事

TOP