丹生川町瓜田 田上 晃さん(74歳)
私の知らない昔、瓜田の集落ではまくわ瓜を栽培し生計を立てていたと聞きました。そのため「瓜田」となったとか。
その瓜田に生まれて74年、来年は後期高齢者となります。斐太実業高校を卒業後、5年間サラリーマンを経験し農業の道へ。約50年間トマトづくりに励み、3年前に長男直澄へ所帯を譲って、現在は長男を手伝いながらかぼちゃ、きゅうり、スイカ、“コロタン"というメロン、飛騨ねぎを栽培しています。その他自家用野菜は数10種類を蒔いたり植えたり、中心はコロタンメロンとブラックジョーというかぼちゃ、飛騨ねぎの3刀流栽培です。長年栽培した飛騨ねぎは、満足できるものができるようになり、忙しい毎日を過ごしています。
少年時代は、神社の境内でソフトボールを、田んぼでは野球に熱中しました。中学時代は野球部とバレー部。高校時代はバレー部と小さな体で走り回っていました。社会人になり、バレーボールの全国青年大会に丹生川村青年団のチームで出場。監督は上野の西洋男さん、盟友には垣内盛彦さん。この時私は22歳で主将を務めました。その年に結婚し、以後3人の息子を育てました。
また、35歳の時には県体育大会の一般ソフトボールに投手として出場し、3位という夢のような結果もありました。監督は、屋敷孝作さん、チームメイトは今は亡き手綱1保さんと松井峰男さん、田村孝至さん、清水孝司さん。生きていてくれれば…。67歳の時は、県還暦野球に風雪高山チームで出場し準優勝。その時は、キャッチャーでした。社会人となり長くソフトボールと野球、バレーボールの3刀流でしたが、最高のチームメイトと家族の理解に恵まれて、幸せな球技人生を送れました。
そのほか、48歳で農業委員として東出修1会長のもと、ファーマーズマーケットを立ち上げ、今も多くの会員の皆様の生きがいの場になっています。現在、長男夫婦が理事長と経理を任せられており、組織の今後なども協議されています。
74年生きてきて最高の思い出は、まず飛騨ねぎ研究会の会長を6年務めた中で、会員と行った3泊4日の豪華なハワイ旅行です。ハワイのビルの谷間の家庭菜園やねぎの見学学習。洞口勇さん夫妻や滑谷さんたちと1緒でした。また、丹生川村蔬菜出荷組合(組合長橋場康夫さん)の役員理事会で行った台湾旅行では、同室の坂口寿人さんとの笑える思い出もありました。
私以上に小柄な妻は、健康で私以上によく働き、尊敬するに値します。3人の息子やその嫁さんたちもよく働き、誇りに思います。74年を振り返り、もし私が酒を飲める人間だったらどうだったか?どうなっていたか?
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