丹生川地域ご紹介

 丹生川地域は、市町村合併により広域化された高山市の北東部に位置する旧丹生川村のエリアです。

面積・標高・人口

 東西約32㎞、南北約12㎞のほぼ長方形の地形で、面積は225.47㎢です。標高は最高が飛騨山脈(北アルプス)乗鞍岳の剣ヶ峰3,026m、最低は丹生川町柏原の540mと、その標高差は2,486mに及んでいます。地域中央部を東西に一級河川小八賀川と荒城川が流れ、両流域に31の集落が形成され、約4,000人が暮らしています。

産業

宿儺かぼちゃ
丹生川地域の特産品 宿儺かぼちゃ

 丹生川地域は、夏秋トマトやほうれん草などの高冷地野菜や飛騨牛を中心とする農畜産業と、乗鞍岳やその山麓の五色ヶ原の森、ほおのき平スキー場、飛騨大鍾乳洞、両面宿儺や円空仏ゆかりの千光寺など、豊かな自然や歴史文化資源を活用した多様な観光産業が盛んな地域です。

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交通

 松本市と福井市を結ぶ高規格幹線道路中部縦貫自動車道は、令和6年(2024年)現在、高山ICから丹生川IC(仮称)へ向けて建設工事が進められています。この地域の重要なアクセスとなる、同区間の早期供用開始と以東区間の事業化、事業推進が期待されます。

“丹生川”の名の由来と地域の変遷

   大政奉還による廃藩置県に伴い、明治元年この地域は高山県に属し、同4年筑摩県の管下に入りました。同8年(1875年)3月、筑摩県からの通達により、大野郡小八賀郷27箇村と吉城郡荒城郷5箇村が合併し「丹生川村」が誕生しました。“丹生川”の名は「斐太人の 真木流すちょう丹生の川 事は通えど舟ぞ通わぬ」と言う万葉集の柿本人麻呂の選歌に由来すると伝えられています。
 その後、同9年8月に丹生川村は現在の岐阜県の管下に入りました。平成17年2月には、国の行政改革による平成の市町村大合併が行われ、周辺9市町村とともに日本一広大な高山市となり、丹生川村は高山市の一部である丹生川地域となりました。

両面宿儺(りょうめんすくな)ゆかりの地

高山市丹生川支所前の両面宿儺像と、ゆるきゃら「すくなっツー」

 仁徳天皇65年(5世紀の初めと推定)に、大和朝廷の武人「難波根子武振熊(なにわねこたけふるくま)」が飛騨に攻め入り、朝廷に従わなかった飛騨の豪族「両面宿儺」を滅ぼしたと『日本書紀』に記載されています。
 両面宿儺は、“姿は異形にして、身の丈一丈(約3m)、躰は一つにして両面、四手四足、五十人力の怪力とされているが、超越した業と武勇の比喩とも思われる”と紹介資料に記述される伝説上の人物です。大和朝廷に従わなかった半面、飛騨の人々には農耕の指導者となるなど民衆を守ってくれた存在として親しまれていたと伝えられています。
 丹生川地域には、各所に両面宿儺にまつわる名所旧跡があります。

 丹生川町日面には、両面宿儺が出現したと伝えられる両面窟や善久寺の両面宿儺菩薩像と御膳石が、丹生川町坊方には宿儺の足跡が残されています。丹生川町下保には、両面宿儺が古代信仰の祈りの場所として開いたと伝えられる千光寺があり、木造と石造合わせて4体の両面宿儺像が残されています。特に同寺を訪れた僧侶円空上人作の両面宿儺坐像は、岐阜県の指定有形文化財として有名です。
 丹生川地域では、古くから人々に親しまれてきた両面宿儺をシンボルとした地域づくりが進められています。地域交流イベント「飛騨にゅうかわ宿儺まつり」、特産農産物「宿儺かぼちゃ」、両面宿儺をイメージしたゆるキャラ「すくなっツー」、地域の子ども育成組織「丹生川すくなっ子教育連携会議」、高山市丹生川支所玄関前に建立の「両面宿儺像レプリカ」、市有温泉「宿儺の湯」などなど、様々な分野で地域に根付いています。

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